米沢藩の藩祖は上杉謙信とされる。初代藩主景勝の養父であり、義の名将、戦国の英雄だ。 鎌倉幕府を倒し室町幕府を開いた足利尊氏・直義兄弟の母清子は家臣、上杉氏の娘だった。 守護上杉氏の命で、越後に在地し治める武将は時が流れ、越後に根を張り独立色を強めた。 国人衆は相争う時もあるが、結束すると上杉氏に対抗する力を持つほどの戦国時代が来た。 越後上杉氏の顕定(あきさだ)が宗家山内氏を継ぎ関東管領、弟房能(ふさよし)が守護だ。 房能の筆頭家老が越後守護代であり、謙信の父でもある長尾為景(ためかげ)だった。 男子が生まれない房能は上条上杉氏の定実(さだざね)を娘婿とし後を継がせると決める。 定実は守護就任の準備が出来ると知り感謝し、房能の娘が亡くなり為景の妹が定実に嫁ぐ。 反撃を開始した房能は為景を討ち取る軍を集め兄顕定に援軍を頼む為、密かに越後を出る。 越後守護を奪われ弟を殺されたと知った顕定は怒り、為景追討の軍勢を集め出陣する。 権力を振りかざし軍費を集め、兵を関東での戦いに駆り出す顕定を越後の国人は嫌った。 長尾氏は守護上杉氏に従い越後に移り、守護代・上杉氏筆頭家老として実質仕切っていた。 為景の勢力拡大を嫌い、上田長尾家は顕定を支持し裏切り、古志長尾家は為景に協力する。 その後は定実派の反乱に対して3家結束して立ち向かうが繰り返される内乱に疲れが出る。 勢力拡大を狙う房景は娘虎御前14歳を31歳年上の為景の正室に送り込もうと虎御前は嫁ぐ。 そこで1536年、為景は長子の春景に将軍の一字を貰い受け、嫡男とし、越後守護代を譲る。 この為景の動きに、2男1女を儲けて安心していた虎御前は裏切りだと、激しく責めた。 謙信を嫡男とする約束を幼少を理由に春景に家督を譲る事は、虎御前に相談なく決まる。 虎御前は必死に尽くした結婚生活を思い出し怒りに震えじっと耐え、定実と親しくする。 1543年待ちに待った為景が亡くなるとすぐ、古志長尾家と共に春景の排除に立ち上がる。 わずか13歳の謙信だが反乱が続く越後の平定に乗り出し、率先して先頭に立ち果敢に戦う。 |
1548年、春景を隠居させ、謙信18歳が府中長尾家当主・越後守護代になり春日山城に入る。 権力を持ち人望も高まり1550年に守護定実が亡くなると、将軍は越後守護の地位を与えた。 円満に室町将軍・鎌倉公方を支える上杉謙信となり、将軍に頼りにされ緊密な関係となる。 虎御前は謙信が主君上杉氏を継ぎ最高の栄誉に輝き、越後を治める様子を見続け幸せだ。 ただ虎御前には娘綾姫が気がかりで、憎い婿上田長尾家の政景から取り戻したいと思う。 ところが、結婚を機に孤立しがちな晴景から頼られて、上田長尾家は支える立場となった。 晴景・謙信兄弟の家督争いが起き、政景は復権の好機と考え晴景を支持し謙信と敵対した。 やむなく、政景は誇りを捨て謙信に謝罪し降伏し忠実な家臣となる事で生き残る道を選ぶ。 虎御前は上田長尾家が上杉顕定に従い、為景・古志長尾家を追い詰めたと繰り返し聞いた。 しかし政景は謙信に従うと表明して以来、謙信に忠誠を誓い、綾姫に一途な愛を捧げた。 虎御前は、娘綾姫の子を政景から切り離し我が手で育てたい、と考え謙信に相談する。 政景は1563年人質ではあるが将来は謙信の養子にもなると言われ、春日山城に景勝を送る。 虎御前は政景の死を知り、ようやく綾姫を取り戻したと大喜びですぐ呼び寄せるよう言う。 そして、綾姫母娘には景勝の住む屋敷とは離れたが、三の丸に広大な屋敷を与えられた。 綾姫は母と再会し共に過ごし、十分親孝行したと、母の死にさほどの悲しみは感じない。 そして誰もが気にしながら言い出せない上杉家の後継者を、謙信が決めるべき時がくる。 まず謙信は容姿抜群で能力もあり気に入っていた北条氏康の七男景虎を華姫の婿に決めた。 同時に妹仙姫に能登守護、畠山義続(よしつぐ)から人質に出された子義春を婿と決めた。 景虎は、綾姫と華姫の住む三の丸の屋敷を改修し婿として迎えられ、同居が始まる。 同時に、上田長尾家の復権に燃える綾姫は謙信と親しくしながらも油断せずに慎重だ。 綾姫が景勝に妻を願っても謙信は答えず、景勝の処遇を迷っているのが分かりそっと待つ。 |
華姫と景虎の結婚が決まったのは、華姫が春日山城に移り6年が過ぎ16歳となった時だ。 華姫は美男の貴公子、景虎を一目見て以来、夢中になり結婚するなら景虎と、母に頼む。 そして嫡男道満丸に続き2人の子が生まれ、浮気な景虎に嫉妬しながらも幸せな暮らしだ。 次第に、景虎は道満丸を抱き謙信の熱い信頼と期待を感じ、謙信の後継になれると考えた。 謙信は何も言わないまま、1578年3月始め48歳で脳卒中で亡くなり、事態が大きく変わる。 謙信は景虎の嫡男であり謙信の血筋を受け継ぐ甥、道満丸を気に入り、後継と考えていた。 華姫も謙信の気持ちが道満丸にある、と母から聞き喜びで涙が溢れて、成長を待っていた。 その時すでに景勝は春日山城本丸を占拠するために兵を集め密かに動き、見事成功した。 景虎は実城を取り戻せと味方に命じるが果たせず、やむなく兄北条氏政に出陣を頼む。 だけど実城を奪われ、下になる三の丸の景虎屋敷は弓矢鉄砲が打ち込まれ危険で住めない。 その間、景勝は謙信の遺言で後を継いだ事、味方すれば資金も提供すると国人衆に言う。 この時から家督争いは景虎優位から景勝優位に変わったが、景虎は気づず待っていた。 御館は攻撃に耐えきれず3月落城し、景虎の先陣切っての戦いはなくあっけない幕切れだ。 景勝を愛する母綾姫は景虎を油断させる功があった、と自分の果たした役割に満足だ。 |
仙姫は姉婿となるはずの謙信の養子、上条政繁と急に結婚が決まり13歳で嫁いだ。 家督争いでは景勝支持をすぐに表明し、景勝の勝利に貢献したが恩賞はわずかだった。 政繁は景勝に代りうる人物だと自他共に認められていたが、追われて秀吉を頼り逃げた。 1598年景勝は秀吉政権の五大老の一人となり会津120万石を得、内米沢30万石を兼続が得た。 兼続は勝利した家康に降伏し上杉氏存続のため、敗者の惨めさを味わいひたすら奔走する。 景勝は母とただ一人の妹、仙姫に米沢行きを告げるが、仙姫は怒り、兼続の処分を求めた。 景勝は家臣に等しく禄を減らすしかないので不満があれば上杉家を去ってもよしと告げた。 膨大な人で米沢の町はあふれ、ただ雨風雪をしのげるだけの仮住まいに耐えながら住んだ。 兼続は自ら先頭に立ち、率いる与板衆を中心に家中一丸となり町づくりに懸命に取り組む。 兼続の妻お船は景勝の妻菊姫と共に秀吉時代と変わらず伏見屋敷に人質として住んでいた。 40歳を過ぎた菊姫が世継ぎをあきらめ、世継ぎの母に公家の姫を選び、お国入りを命じた。 お船は京を後にして不安そうな桂姫に主君景勝の人柄を話し、打ち解けるよう気を配る。 米沢には景勝の母綾姫と妹仙姫がお船に憎しみを持ち、桂姫を認めないと待ち構えていた。 仙姫も思いは同じだ。政繁との間に三人の男子が生まれ、次男は景勝の養子になっていた。 秀吉から人質を求められた時、景勝には子がなく仙姫の次男長員が養子となり京に行った。 仙姫は夫を追い出した兼続・お船を憎み排除したいし、桂姫に子を生ませたくなかった。 お船は役目を果たすため、米沢城の奥の中心は菊姫の身代わりである桂姫であること。 |
お船が張り切って支度して、46歳の新夫景勝と18歳の新妻桂姫の新婚生活が始まる。 家康の天下となり、豊臣恩顧の大名が争って徳川ゆかりの姫と結婚し、お家安泰を願った。 桂姫にも城内の緊張感が重苦しく伝わり、初めは居づらく京に戻りたいと心細そうに言う。 景勝の厳つい顔つきは変わらないが、二人の仲むつまじい姿にお船も微笑みが浮かぶ。 だが、お船が桂姫の為に京風に屋敷を整え、心安らぐ暮らしをしつらえると仙姫が怒る。 米沢に戻り一年余り経った時、待ち焦がれた桂姫の懐妊がわかり、米沢家中は大喜びだ。 1604年6月米沢城で米沢藩第2代藩主、定勝が誕生し、天に向かいお船は胸を張り報告した。 桂姫はお船に、定勝の母代わりとなって育てて欲しい、と何度も頼み、今までの礼を言う。 相次ぐ大切な人の死はつらすぎた。けれど運命も感じ強くならなければと、身を震わせる。 しかし景勝はまだ48歳、徳川ゆかりの姫との再婚を望むべきではないか、と兼続と話す。 しかし、景勝は何も答えずいつもの無表情で遠くを見つめ、兼続を見ることはなかった。 お船は幕府に忠誠を尽くしながらも一線を引く、景勝の信念のある熱い生き方が好きだ。 だけど定勝は手足を思い切り強く動かしながら、お船を目で追い笑顔を見せ始めて来た。 この時からお船は定勝の健やかな成長を確信し、おおらかな母の顔を見せる余裕が出る。 兼続の強引さを諫めたお船が、今は、兼続と同じ強引さで米沢城の奥を仕切っている。
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