米沢城四方山話

1.米沢城の女  ー戦う女、謙信の母、虎御前ー

米沢藩の藩祖は上杉謙信とされる。初代藩主景勝の養父であり、義の名将、戦国の英雄だ。
そこには謙信の母がいた。母は虎御前と称され、謙信の才能を見抜き、花咲かせた女傑だ。
謙信も母親を愛し結びつきは強い。虎御前は謙信を暖かく抱き締める事はないが激励する。

鎌倉幕府を倒し室町幕府を開いた足利尊氏・直義兄弟の母清子は家臣、上杉氏の娘だった。
上杉氏は足利尊氏を支え、懸命に働き、足利将軍の母の実家となり一族として権力を握る。
越後・上野(こうづけ)・武蔵野の守護となり鎌倉公方(将軍の代理)を支える関東管領だ。
ただ室町幕府の基盤は弱く、幕府の権力を後ろ盾にした栄華は短い間でしかなかったが。

守護上杉氏の命で、越後に在地し治める武将は時が流れ、越後に根を張り独立色を強めた。
国人衆と呼ばれ領地の支配権を強めるが、上杉氏一族は勢力争いが続き弱体化していく。

国人衆は相争う時もあるが、結束すると上杉氏に対抗する力を持つほどの戦国時代が来た。
上杉氏は国人衆の支持を受けないと守護と言うだけでは越後を治める事は出来ない状況だ。
越後の実際の統治は在地する守護代が行い、上杉氏の分家も在地し家をなし国人化するが。

越後上杉氏の顕定(あきさだ)が宗家山内氏を継ぎ関東管領、弟房能(ふさよし)が守護だ。
彼らの父は分家の上条上杉氏から越後上杉氏に養子に入りし後を継いだ房定(ふささだ)だ。

房能の筆頭家老が越後守護代であり、謙信の父でもある長尾為景(ためかげ)だった。
為景は1506年家督を継ぎ守護代となるが房能と合わず自らの覇権を確立すると意気盛んだ。

男子が生まれない房能は上条上杉氏の定実(さだざね)を娘婿とし後を継がせると決める。
上条上杉氏は房能の実家で順当な養子だが、為景は定実に取り入り房能排除を画策する。
まず、定実が望む次期守護職に直ぐにでも任命されるよう足利将軍に働きかけ内諾を得る。

定実は守護就任の準備が出来ると知り感謝し、房能の娘が亡くなり為景の妹が定実に嫁ぐ。
為景は定実と義兄弟になると房能に隠居を促し強く求めた。暴挙だと房能は怒り拒否する。

反撃を開始した房能は為景を討ち取る軍を集め兄顕定に援軍を頼む為、密かに越後を出る。
その時を待ち構えていた為景はすばやく追っ手を出し、房能を追い詰め自害させる。

越後守護を奪われ弟を殺されたと知った顕定は怒り、為景追討の軍勢を集め出陣する。
この時、為景は追われ逃げるしかなかったが、体制を立て直し国人衆をまとめ返り咲く。

権力を振りかざし軍費を集め、兵を関東での戦いに駆り出す顕定を越後の国人は嫌った。
次いで為景は顕定を追い出した勢いに乗って追撃し、1510年顕定を追い詰め自害させる。
これで越後での覇権を確立した為景は栄華の時を味わい最高だったが定実が反乱を起こす。
定実が守護以上の権力を握る為景に反発する弟上条氏や国人衆に促され、立ち上がった。

長尾氏は守護上杉氏に従い越後に移り、守護代・上杉氏筆頭家老として実質仕切っていた。
そして、越後長尾氏として、三家に分家して、競い合い、協力して上杉氏を支えた。
長男が上田長尾家を、次男が古志長尾家を、末っ子が府中長尾家と領地の名を取り名乗る。
長男家を差し置き府中長尾家が抜き出て越後守護代を世襲し、3家で争いつつ為景が出た。

為景の勢力拡大を嫌い、上田長尾家は顕定を支持し裏切り、古志長尾家は為景に協力する。
だが顕定の死で上田長尾家は敗北となり、為景に許しを乞うが為景の恨みは消えず残る。

その後は定実派の反乱に対して3家結束して立ち向かうが繰り返される内乱に疲れが出る。
為景派に広がる厭戦気分をのがさず1526年、定実派が為景を襲い命も危ない窮地に陥いる。
救援を求められた古志長尾家の房景が即座に動き、定実派を追い払い、為景の恩人となる。

勢力拡大を狙う房景は娘虎御前14歳を31歳年上の為景の正室に送り込もうと虎御前は嫁ぐ。
ここでようやく虎御前が登場する。父母より年上の為景に嫁ぐ意味と期待を聞かされた。
虎御前は古志長尾家と府中長尾家を繋ぎ越後を平和にすると張り切って春日山城に行く。
房景も満足し為景を支え戦い、次第に為景の舅として発言力を増し、為景は恐怖する。
それでも越後の内紛は続き、為景が完全平定できないまま、房景の力が増すのは許せない。

そこで1536年、為景は長子の春景に将軍の一字を貰い受け、嫡男とし、越後守護代を譲る。
老齢を理由に家督を譲り、古志長尾家に実権を奪われない為に府中長尾家を守る策だ。

この為景の動きに、2男1女を儲けて安心していた虎御前は裏切りだと、激しく責めた。
結婚後10年が過ぎ、長男は幼くして亡くなるが、謙信と姉綾姫はすくすくと育っていた。

謙信を嫡男とする約束を幼少を理由に春景に家督を譲る事は、虎御前に相談なく決まる。
しかも為景は謙信を林泉寺に入れる事、綾姫と上田長尾家の政景との婚約までも決めた。
他にも子がいる為景は謙信を僧侶とし、綾姫を敵対する上田長尾家に送り込み、排除した。

虎御前は必死に尽くした結婚生活を思い出し怒りに震えじっと耐え、定実と親しくする。
ただ、春景には越後の内紛を押さえられない、と無能力ぶりを笑いあからさまにしていく。

1543年待ちに待った為景が亡くなるとすぐ、古志長尾家と共に春景の排除に立ち上がる。
まず、謙信を寺から出し、実家の勢力下にある栃尾城主にし、選りすぐりの武将を付ける。
謙信の天才的資質を見抜き、軍略を学ばせていた虎御前は謙信に思う存分戦うよう励ます。

わずか13歳の謙信だが反乱が続く越後の平定に乗り出し、率先して先頭に立ち果敢に戦う。
国人衆・譜代の臣は謙信の見事な指揮に目を見張る。謙信は反乱を続ける武将を押さえた。
虎御前は定実を通じて春景に引退を迫る。春景も抵抗するが謙信に叶わずあきらめ従う。
虎御前は思いを遂げる。


2.米沢城の女  ー非情な母、謙信の姉、綾姫ー

1548年、春景を隠居させ、謙信18歳が府中長尾家当主・越後守護代になり春日山城に入る。
以後も、謙信は破竹の進撃を続け、越中越後関東にまで一大勢力圏を築き上げていく。

権力を持ち人望も高まり1550年に守護定実が亡くなると、将軍は越後守護の地位を与えた。
続いて、1561年上杉憲政(のりまさ)は謙信に山内上杉家の家督と関東管領職を譲る。

円満に室町将軍・鎌倉公方を支える上杉謙信となり、将軍に頼りにされ緊密な関係となる。
古志長尾家も謙信後見として、越後長尾家の頂上に立つ権力者となり、上杉姓を名乗る。

虎御前は謙信が主君上杉氏を継ぎ最高の栄誉に輝き、越後を治める様子を見続け幸せだ。
しかも謙信は謙信の屋敷近くに母の屋敷を建て、よく訪ねてくれる最高の孝行息子だ。

ただ虎御前には娘綾姫が気がかりで、憎い婿上田長尾家の政景から取り戻したいと思う。
上田長尾家は為景から一方的に押しつけられた結婚を当初は嫌い綾姫に冷たく当たった。

ところが、結婚を機に孤立しがちな晴景から頼られて、上田長尾家は支える立場となった。
晴景と上田長尾家の親しさが増して、綾姫と政景も自然に打ち解けわだかまりがなくなる。

晴景・謙信兄弟の家督争いが起き、政景は復権の好機と考え晴景を支持し謙信と敵対した。
ところが、政景の予想を遙かに超えた謙信の強さに瞬く間に滅亡寸前まで追い込まれた。

やむなく、政景は誇りを捨て謙信に謝罪し降伏し忠実な家臣となる事で生き残る道を選ぶ。
虎御前は信用できないと決めつけ謙信のために上田長尾家を殲滅すべきだ、と機会を待つ。

虎御前は上田長尾家が上杉顕定に従い、為景・古志長尾家を追い詰めたと繰り返し聞いた。
また晴景に近づきすり寄っていく姿を間近に見ており、謙信を裏切った姿は忘れられない。

しかし政景は謙信に従うと表明して以来、謙信に忠誠を誓い、綾姫に一途な愛を捧げた。
綾姫も政景を愛し夫婦仲はぴったりと合い、義景、華姫、次男景勝、次女仙姫が生まれる。
母として綾姫は上田家中で奥を仕切る立場になり、子達と共に充実した日々を送っていた。
綾姫は実家より婚家に居場所を見つけ幸せだったのに、次々打ち破られていく時が来る。

虎御前は、娘綾姫の子を政景から切り離し我が手で育てたい、と考え謙信に相談する。
綾姫には二人の男子が生まれているのだから、一人は謙信の養子にするべきだと強く頼む。
謙信も幼い頃から親しかった姉の子、甥を側近くに置きたいという思いもあり承諾する。

政景は1563年人質ではあるが将来は謙信の養子にもなると言われ、春日山城に景勝を送る。
ところがまもなく長男義景が10歳で亡くなり、翌年には政景が事故死と不幸が相次いだ。

虎御前は政景の死を知り、ようやく綾姫を取り戻したと大喜びですぐ呼び寄せるよう言う。
綾姫は嘆きながらも冷静に夫の葬儀を済ませ謙信の招きに応じ景勝の待つ春日山城に移る。

そして、綾姫母娘には景勝の住む屋敷とは離れたが、三の丸に広大な屋敷を与えられた。
虎御前は待ちわびた娘綾姫との満ち足りた晩年を過ごし、四年後、看取られて亡くなる。

綾姫は母と再会し共に過ごし、十分親孝行したと、母の死にさほどの悲しみは感じない。
何も話したわけではないが、上田長尾家の凋落に母の影を感じ許せない想いをぬぐえない。
謙信にも母の死の悲しみは深いが、母の呪縛から逃れ自由に力を発揮する門出でもある。
最も痛手を受けたのは謙信の後見として権力を握った古志長尾家であり、虎御前を悼む。

そして誰もが気にしながら言い出せない上杉家の後継者を、謙信が決めるべき時がくる。
謙信は結婚せず、父母が同じ兄弟姉妹は姉綾姫しかいないし、親しい身内はとても少ない。
血筋が近くて後継者になり得るのは姉綾姫の子達、甥景勝と姪華姫・仙姫の三人だけだ。

まず謙信は容姿抜群で能力もあり気に入っていた北条氏康の七男景虎を華姫の婿に決めた。
1570年氏康と同盟を結んだ際の人質で、同盟が決裂した後も上杉氏に留めて養子とした。

同時に妹仙姫に能登守護、畠山義続(よしつぐ)から人質に出された子義春を婿と決めた。
謙信は人質とは思わず気に入り、頭脳明晰で容姿もよしと景虎より早く養子としていた。
いずれは能登守護にすると考え結婚を機に上条政繁と名乗らせ、仙姫は上条家に嫁いだ。

景虎は、綾姫と華姫の住む三の丸の屋敷を改修し婿として迎えられ、同居が始まる。
この頃の綾姫は子達が謙信の後を継ぐと確信していて、希望通りの結婚であり満足した。

同時に、上田長尾家の復権に燃える綾姫は謙信と親しくしながらも油断せずに慎重だ。
景勝が謙信後継になり二人の婿が支え、謙信の残す全てを受け継ぐために謙信の心を探る。

綾姫が景勝に妻を願っても謙信は答えず、景勝の処遇を迷っているのが分かりそっと待つ。
謙信が景勝を後継に決めかねているのは明らかで、綾姫の思い通りにはなかなか進まない。

 

3.米沢城の女  ー一途な愛を貫く、景勝の姉、華姫ー

華姫と景虎の結婚が決まったのは、華姫が春日山城に移り6年が過ぎ16歳となった時だ。
謙信は良く屋敷に遊びに来て、母妹と共に四方山話や婿の話など楽しい時を過ごしていた。
謙信の話で華姫は畠山政繁に嫁ぐと思っていたが、北条景虎が春日山城に着き変わった。

華姫は美男の貴公子、景虎を一目見て以来、夢中になり結婚するなら景虎と、母に頼む。
謙信も養子にしたいと考え、華姫の想いと一致し、華姫は恋した景虎を婿に出来たのだ。

そして嫡男道満丸に続き2人の子が生まれ、浮気な景虎に嫉妬しながらも幸せな暮らしだ。
謙信も綾姫に会いに来る度に景虎と親しく話し、4人の仲は笑いの絶えない親しい間柄だ。

次第に、景虎は道満丸を抱き謙信の熱い信頼と期待を感じ、謙信の後継になれると考えた。
謙信は上田長尾家を嫌い景勝をまだ信用しないが、綾姫と景虎は同居し実の親子のようだ。
名門の気品が漂う穏やかな性格の景虎は上杉一族の受けも良く、譜代の臣も集まってくる。
長尾一族や国人衆との付き合いも華姫と共にうまくこなし、皆が景虎の味方だと錯覚した。

謙信は何も言わないまま、1578年3月始め48歳で脳卒中で亡くなり、事態が大きく変わる。
謙信はまだまだ生きて、縁戚衆、譜代や国人衆の賛同を得る後継者を選ぶはずだった。 
だが、予想外の急死で後継者選びは中途のまま途切れたが、準備していたのは景勝だった。

謙信は景虎の嫡男であり謙信の血筋を受け継ぐ甥、道満丸を気に入り、後継と考えていた。
景虎は好みで資質もあると思えたが、後継とはせず、道満丸の成長を待つつもりだった。

華姫も謙信の気持ちが道満丸にある、と母から聞き喜びで涙が溢れて、成長を待っていた。
そして華姫は我が子道満丸が上杉家を継げるのは、折々の母の心遣いによると感謝した。
しかし謙信は公にせず亡くなり、弟景勝との家督争いは避けられないと動揺し覚悟した。

その時すでに景勝は春日山城本丸を占拠するために兵を集め密かに動き、見事成功した。
景虎には手足になって動く側近は少なく出遅れ、謙信の葬儀が終わった時、勝負は付いた。
いち早く、景勝が実城を押さえ謙信の遺産を手に入れ上田衆を配置し守りを固めたのだ。

景虎は実城を取り戻せと味方に命じるが果たせず、やむなく兄北条氏政に出陣を頼む。
兄氏政が助けに来て、武田勝頼も援軍に応じるはずで、すぐ奪い返せると楽観視していた。
上杉家一門も古志長尾家も越後の国人衆の多くも景虎に味方しており勝利は確実のはずだ。

だけど実城を奪われ、下になる三の丸の景虎屋敷は弓矢鉄砲が打ち込まれ危険で住めない。
5月始め春日山城を放棄して、母綾姫・妻華姫・子達と御館(おたて)に籠もると決める。
謙信の養父、上杉宗家の憲政の屋敷で、政権を担う場であり、体面も保てると判断した。
華姫は予想外の劣勢に不安を感じながら、道満丸を守り援軍を待ち、気丈に振る舞う。

その間、景勝は謙信の遺言で後を継いだ事、味方すれば資金も提供すると国人衆に言う。
味方の数では後れを取る景勝は金をばらまく事で、国人衆を味方にしようと必死だ。
成果は出始め、味方は増し、武田勝頼を味方にすれば勝てると確信し、和解交渉に入る。
6月、勝頼への破格の資金の提供、領地の割譲、と武田氏主導の条件を了承し同盟を結ぶ。
12月、同盟の条件で、勝頼の妹菊姫と景勝は結婚した。武田軍は納得し退き勝利に近づく。

この時から家督争いは景虎優位から景勝優位に変わったが、景虎は気づず待っていた。
華姫は愛する夫景虎だが越後衆を率いる力がないのを見続け、悔しくいらだちあきらめる。
北条氏と武田氏を待ち続けるだけで、積極的に討って出る勇気のない夫景虎の限界を見た。
雪が積もり北条氏の軍は動けなくなり、好機が来たと景勝は1579年2月御館を攻撃した。

御館は攻撃に耐えきれず3月落城し、景虎の先陣切っての戦いはなくあっけない幕切れだ。
華姫は景虎らを助ける為、最後の望みを憲政に賭け大事な嫡男道満丸を託し和議を頼む。
憲政は道満丸を人質として差し出し景勝に臣従する和議の使者として、春日山城に向かう。
しかし景勝は甥になる道満丸と祖父でもある憲政に会うこともなく無残に殺した。
華姫は怒り、景勝に恨みの言葉を残し、残された子達と共に壮絶な死を選んだ。

景勝を愛する母綾姫は景虎を油断させる功があった、と自分の果たした役割に満足だ。
華姫の死はつらく悲しかったが、何事もなかったように春日山城に戻る。
こうして上田長尾家が上杉家嫡流となり景勝が謙信の後継となり、古志長尾家は滅びた。


4.米沢城の女  ー兼続への怨念に燃える、景勝の妹、仙姫ー

仙姫は姉婿となるはずの謙信の養子、上条政繁と急に結婚が決まり13歳で嫁いだ。
政繁は謙信に重用され家中の信望もあったが、上杉一門となり、より一層重要性を増す。

家督争いでは景勝支持をすぐに表明し、景勝の勝利に貢献したが恩賞はわずかだった。
恩賞への不満もあり景勝に臆せず進言し独自の勢力を拡げる政繁を兼続は恐れ謀反を疑う。

政繁は景勝に代りうる人物だと自他共に認められていたが、追われて秀吉を頼り逃げた。
仙姫は若くして夫と別れさせられ、再び一緒に暮らしたいと景勝に願い続けるが叶わない。

1598年景勝は秀吉政権の五大老の一人となり会津120万石を得、内米沢30万石を兼続が得た。
だけどその後、1年も経たないうちに秀吉が亡くなり、続いて天下分け目の戦いが始まる。
景勝は上杉の名を世に示す好機と策を練り、奥州での覇権を目指したが、戦いに負ける。

兼続は勝利した家康に降伏し上杉氏存続のため、敗者の惨めさを味わいひたすら奔走する。
1601年7月、景勝は会津120万石から米沢藩30万石へ減移封と厳しく言い渡され、移る。
兼続に任された米沢が上杉家のすべてと変わり、天下分け目の戦いはむごい結果で終わる。

景勝は母とただ一人の妹、仙姫に米沢行きを告げるが、仙姫は怒り、兼続の処分を求めた。
夫政繁は家康に従い所領を安堵されたが、なぜ景勝は判断を間違ったかと問い強く責めた。
兼続の誤った策謀に乗り上杉家を存亡の危機に陥らせたと、兼続の責任を追求する。
即刻、兼続を処罰し政繁を上杉家に迎え入れるよう頼むが、母に諫められ、答えはない。

景勝は家臣に等しく禄を減らすしかないので不満があれば上杉家を去ってもよしと告げた。
しかし、ほとんどの家臣6千人が家族、従者を連れて、人口6千人の米沢に移り住んだ。

膨大な人で米沢の町はあふれ、ただ雨風雪をしのげるだけの仮住まいに耐えながら住んだ。
食べ物さえも満足にない苦しさの中で、上杉米沢藩が始まり、安住の地を築くため働く。

兼続は自ら先頭に立ち、率いる与板衆を中心に家中一丸となり町づくりに懸命に取り組む。
氾濫を繰り返し米沢城下発展の大きな妨げになっていた松川上流左岸に、直江堤を築いた。
悪戦苦闘しながら長大強固な堤防をつくり城下町を広げ、家臣の住まい確保の目途が立つ。
同時に米沢城を築き、食糧の増産の目途を立てつつ、殖産興業・鉱山の開発も進める。
兼続は知恵を絞り抜群の内政手腕で、城下町を築き藩士の落ち着ける暮らしを整えていく。

兼続の妻お船は景勝の妻菊姫と共に秀吉時代と変わらず伏見屋敷に人質として住んでいた。
1602年米沢城内に屋敷が出来たと知らされ、菊姫を残し四辻家の桂姫を伴い米沢に向かう。

40歳を過ぎた菊姫が世継ぎをあきらめ、世継ぎの母に公家の姫を選び、お国入りを命じた。
菊姫の選んだ桂姫が景勝の子を生むまで米沢城で見守るよう、お船は菊姫から頼まれた。

お船は京を後にして不安そうな桂姫に主君景勝の人柄を話し、打ち解けるよう気を配る。
遙か遠くの米沢の地に向かう長い旅を共に過ごし、心が通じ気が合うようになっていく。
お船は上杉家のお世継ぎを得るため桂姫の守り役を果たすと、固い決意で米沢城に入る。

米沢には景勝の母綾姫と妹仙姫がお船に憎しみを持ち、桂姫を認めないと待ち構えていた。
綾姫は兼続を見込み謙信に引き合わせ、兼続の出世の糸口を作った恩人だ、と思っていた。
なのに兼続は上杉家の領地を減らした上、責任も取らず権力を持ち続けると、許せない。
小国に成り下がった上杉家の姿が情けなく、この事態を招いたのは兼続やお船だと責めた。

仙姫も思いは同じだ。政繁との間に三人の男子が生まれ、次男は景勝の養子になっていた。
だけど畠山景広、上杉長員(ながかず)、畠山義真(よしざね)と二人は父方を名乗った。

秀吉から人質を求められた時、景勝には子がなく仙姫の次男長員が養子となり京に行った。
その時以来、仙姫は長員が景勝の後継になるべきだと考え、その日が来るのを待ちわびた。
幼くして苦労させた長員の為にも上杉氏を継がせたいし景勝に子はいらないと思っていた。

仙姫は夫を追い出した兼続・お船を憎み排除したいし、桂姫に子を生ませたくなかった。
景勝が大切にする綾姫と仙姫は上杉氏の凋落を許せず、景勝と違い兼続との仲は険悪だ。
そのため120万石の藩主の母であり妹であるかのように堂々と米沢城で君臨していた。

お船は役目を果たすため、米沢城の奥の中心は菊姫の身代わりである桂姫であること。
米沢城の奥を仕切る責任者は桂姫の母代わりでもあるお船だと景勝からお墨付きを得る。
うるさい人達を押さえる名分を得て、桂姫の愛の巣を用意していく。


5.米沢城の女  ー定勝の養母、お船の輝きー

お船が張り切って支度して、46歳の新夫景勝と18歳の新妻桂姫の新婚生活が始まる。
ただどんなに意気込んでも、景勝は伏見・江戸へ忙しく動き米沢に長居することが少ない。
会える時も少ない景勝が桂姫を訪ねる時間を作るために、景勝の予定にも目を光らせる。

家康の天下となり、豊臣恩顧の大名が争って徳川ゆかりの姫と結婚し、お家安泰を願った。
家康が気に入っている景勝の甥、長員を世継ぎにするのも上杉家には良いかもしれない。
けれど景勝は家康の実力を認めても完全に支配下に置かれたくない、との強い意志がある。
そのため我が子の世継ぎが欲しい思いは景勝にも強く、お船の言うままに桂姫の元に通う。

桂姫にも城内の緊張感が重苦しく伝わり、初めは居づらく京に戻りたいと心細そうに言う。
次第に、お船や菊姫の思いを理解し期待の大きさを心地よく感じ、景勝を待つようになる。
景勝の為に綾姫・仙姫から身を守り元気なお世継ぎを授かりたいと、熱い思いが高まる。
桂姫は景勝との逢瀬で緊張しながらも親密さが増し笑顔もこぼれ輝く美しさに溢れていく。

景勝の厳つい顔つきは変わらないが、二人の仲むつまじい姿にお船も微笑みが浮かぶ。
ようやく、兼続や子達の待つ我が家に戻り、家族の団らんを味わえる余裕が出て一息つく。

だが、お船が桂姫の為に京風に屋敷を整え、心安らぐ暮らしをしつらえると仙姫が怒る。
仙姫は、桂姫はただの側室に過ぎず特別の待遇は許さないと叫び、緊迫感に包まれる。
それでも、お船は兼続と協力し、細心の気配りで桂姫が穏やかに過ごせる暮らしを守る。
そんな時、菊姫の病が重いとの報が届き桂姫には知らせず、祈る想いで懐妊を待望する。

米沢に戻り一年余り経った時、待ち焦がれた桂姫の懐妊がわかり、米沢家中は大喜びだ。
お船と桂姫は溢れる涙そのままに、手を取り見つめ合い、頷いた。急ぎ菊姫に知らせる。
菊姫も吉報を受け喜ぶ。景勝が伏見入りし菊姫に感謝の言葉を伝えるとうなずき亡くなる。

1604年6月米沢城で米沢藩第2代藩主、定勝が誕生し、天に向かいお船は胸を張り報告した。
しかし桂姫は産後の経過が悪く、菊姫を追うかのように日々やせ細り、景勝を呼び続ける。
景勝がようやく戻り定勝の無事な誕生を心から褒め喜び、菊姫からの感謝の言葉も伝えた。
桂姫もうなずき、景勝に看取られて、穏やかで神々しい満足の微笑みを浮かべて亡くなる。

桂姫はお船に、定勝の母代わりとなって育てて欲しい、と何度も頼み、今までの礼を言う。
お船はうなずき、必ずお守りします、と答えたが、余りにも早い二人の死を信じられない。

相次ぐ大切な人の死はつらすぎた。けれど運命も感じ強くならなければと、身を震わせる。
すると菊姫と桂姫がお船の身体の中に蘇る気がする。二人に見守られている気配を感じた。
二人の愛が重なり、定勝がより一層我が子のように思え、宝を預かる喜びを噛みしめる。
景勝の悲しみも大きく、定勝の母代わりで育てよとすがるような真剣な目でお船に命じた。

しかし景勝はまだ48歳、徳川ゆかりの姫との再婚を望むべきではないか、と兼続と話す。
米沢藩も30万石の表高以上の収入を得る見込みが立ち、家臣の暮らしは落ち着いた。
藩政は安定しており、家康との縁を深め雄藩の一角に入り込むことを考えるべきかと思う。
意を決し兼続は、徳川家ゆかりの姫との再婚を願い出るべきだ、と景勝に進言し見つめた。

しかし、景勝は何も答えずいつもの無表情で遠くを見つめ、兼続を見ることはなかった。
その横顔に上杉氏の誇りを失わず生きる意地を見てお船と兼続は安心し二度と口にしない。

お船は幕府に忠誠を尽くしながらも一線を引く、景勝の信念のある熱い生き方が好きだ。
その分、上杉氏存続の唯一の切り札定勝を任された重圧に息も出来ない日々が続くが。

だけど定勝は手足を思い切り強く動かしながら、お船を目で追い笑顔を見せ始めて来た。
定勝から大丈夫だよ元気だから落ち着くように、と話しかけられた気がして苦笑いする。

この時からお船は定勝の健やかな成長を確信し、おおらかな母の顔を見せる余裕が出る。
上杉家の立派なお世継ぎは元気です、と定勝を抱き上げ天国の二人に差し出し語りかける。

兼続の強引さを諫めたお船が、今は、兼続と同じ強引さで米沢城の奥を仕切っている。
お船と兼続は屋敷で顔を合わす日は少なく、米沢城内で顔を見合わせることの方が多い。
上杉氏の安泰のために命を賭けて働く、との共通の目的でどんなに忙しくても心は一つだ。

 

 

 

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