道灌は1432年相模守護代太田資清(すけきよ)と正室長尾景仲(かげなか)娘との嫡男だ。 祖父、長尾景仲は白井長尾氏の当主で山内上杉氏の筆頭家老・武蔵守護代で嫡男が景信だ。 父、太田資清は山内上杉家の分家、扇谷(おうぎがや)上杉家の筆頭家老・相模守護代だ。 道灌は幼少時から飛び抜けた賢さで、鎌倉の建長寺や足利学校で学び、秀才だ皆が認めた。 この時代、古河公方足利氏を擁する派と関東管領上杉氏派とが対立し争いを繰り返した。 道灌は城内で上杉氏の軍備の増強と兵士の戦闘力の強化に取り組み、成果を上げていく。 戦の合間には学問の普及にも取り組み、京から迎えた文人から古典や和歌や漢詩を学ぶ。 1466年山内上杉家の当主が亡くなり、越後上杉家から顕定(あきさだ)を婿養子とし迎える。 翌年、扇谷上杉家を16歳の政真(まさざね)が継ぎ、道灌は思う存分破竹の進撃を続ける。 一方、顕定を当主にしたと恩に着せ専横に振る舞った景信が亡くなり、顕定は大喜びだ。 顕定に忠誠を誓う忠景に家老職を与え、景春を排除し景信の影響力を取り除こうとした。 道灌も心配し戦いを避けるべきで、景春をせめて武蔵国守護代にと顕定に頼み拒否された。 道灌は様子を見、扇谷上杉氏が山内上杉家を超えた力を持つ時が来たのだと奮い立った。 扇谷上杉家に道灌、白井長尾氏に景春ありと賞された知謀の猛将同士の戦いは激しく続く。 道灌の活躍で景春は敗れ、山内上杉家は力をなくし扇谷上杉家との力関係は逆転した。 道灌は定正に、ここで一気に山内上杉氏を抜き上に立ち和睦の席に着くように、進言する。 その結果、定正は分家の協力者とされただけで力を発揮できず扇谷上杉家に恩賞が少ない。 顕定は道灌と戦えば負けるのは明らかで調略しかないと定正に道灌の謀反の動きを告げる。 道灌は遊び心にあふれ、人を食った独特の世界観で、皆を引きつけ魅了した。 |
道灌44歳は駿河(静岡県中部と北東部)に勢力を伸ばし北条早雲20歳と緊迫の出会をする。 1476年初春、駿河守護、今川義忠が突然亡くなり、後継を巡り身内同士の争いが始まる。 道灌は駿河および今川家に強い影響力を持つ、と考え味方を増やしており好機到来と喜ぶ。 道灌はここで一気に駿河を押さえると政憲と共に、駿河守護の館(やかた)に乗り込んだ。 一方、5歳の氏親の母北川殿は突然の夫義忠の死、範満の後継者への名乗りにただ驚いた。 北川殿は室町幕府将軍側近の伊勢貞親(さだちか)の姪で、義忠が恋し望まれて駿河に来た。 今川氏は遠江国守護でもあったが斯波氏に奪われ、義忠は取り戻すと遠江に侵攻していた。 また今川家の家督相続を巡る争いは以前からあり、義忠の死で内政重視の譜代の臣が喜ぶ。 北川殿は夫義忠の愛に満足し譜代の臣の敬意を得る努力が足らなかったと初めて反省する。 将軍に仕える北川殿の弟早雲がお墨付きを持ち、幕府の使者として駿河に到着し調停する。 将軍の実質的力は弱く、範満を当主にした今川家の動きは変えられないと承知での案だ。 道灌も早雲の正論に納得せざるを得ず、形より中身を取り、氏親の家督相続を認めた。 北川殿は氏親の成人まで身を守る方法を考え、守りの固い丸子城(静岡市)の館に移る。 京にいる弟早雲や公家を招く事も度々で足利一門としての権威を保つ付き合いも続ける。 氏親が15歳、約束の時が来たが、範満の治世は安定し、予想していたが譲る気配はない。 運良く道灌の死の報が届き、これで範満に勝てると喜ぶが、焦らず内部崩壊を仕掛ける。 機は熟し、早雲が譜代の臣を率い1487年末、範満を襲い、討ち果たし駿河館を取り戻す。 北川殿は早雲への恩賞に伊豆国との国境近い興国寺城(現沼津市)を与え防備を任せる。 早雲は、憎しみが募る上杉氏打倒の戦いを慎重に進めるが、好機が到来し、飛躍が始まる。 狂人とされて幽閉されていた茶々丸が、山内上杉氏に支えられ牢を出て、反撃を始めた。 早雲は伊豆への侵攻、北条氏への攻撃を準備し、一部始終を見て将軍から大義名分を得た。 早雲は堀越公方を滅ぼしたが茶々丸をあえて見逃し討伐・捜索の名目で伊豆深く入り込む。 一方、上杉顕定と定正の争いが再燃し、定正は古河公方から離れ早雲と同盟を結んだ。 ところが定正が陣中で亡くなり、後継の朝良(ともよし)は顕定に屈服してしまう。 1510年越後守護代の長尾為景が顕定を殺し、勢いを得た早雲・為景・景春は同盟を結ぶ。 |
主君上杉氏を凌ぐ勢いだった太田道灌だが、死後の太田家は余りにも悲惨な状況となる。 相模三浦氏を継いだ定正の兄高救(たかひら)と義同(よしあつ)親子も資康に加勢した。 資康は扇谷上杉家を継いだ朝良に仕え、父道灌と同じ筆頭家老となると信じて戻る。 この間、資康は三浦義同の娘と結婚し、三浦家と深い縁を結び、太田家の復権を目指す。 資康の敗死で、後継の資高(すけたか)は扇谷上杉家での地位をまた下げられ限界を感じる。 資高は氏綱の娘と結婚し北条一門として迎えられ江戸城代として力を奮うため引き渡した。 1547年資高の死後、康資(やすたけ)が家督を継ぐが江戸城代としては同じ地位のままだ。 こうした長年の恨みが募り、1561年上杉謙信が関東進出を図ると味方し、北条氏を裏切る。 康資は里見義弘と共に戦い上総(かずさ)国・下総(しもうさ)国にまで支配地を拡げた。 古河公方足利晴氏娘が母の梅王丸は幼く家督は梅王丸に領地は二人の分割相続を遺言した。 和睦の際、義頼が氏政娘鶴姫と結婚し、2年後の鶴姫の死で氏政妹菊姫と再婚と縁が深い。 義弘は梅王丸の為に万全を期したつもりだったが、北条氏が義頼を支援し介入し勝利する。 この時、康資に重正・お勝と二人の子が居たが、北条氏にも里見氏にも居場所をなくした。 しかし義頼は北条氏の横暴を嫌い菊姫が亡くなると氏政と再び争いお勝の居場所は出来る。 一方、北条氏は織田信長に臣従したが信長の死を知り上野国を奪い返し信長勢を追い払う。 氏政は秀吉に臣従の意は表すが過去の経緯から厳しい措置を予期し京・大坂に出向かない。 お勝は秀吉が家康に北条氏の領地を与え家康は250万石の大名となったと聞き希望を持つ。 |
道灌と同じく、北条氏政も江戸を東国水運の要として、関東全域支配の拠点と考えた。 1590年8月末に、にわか改修が出来ただけの粗末な江戸城に家康は晴れやかに入城した。 家康は新たに臣従を望む北条家旧臣を受け入れると、一族揃いお目見えする場を用意した。 気品のある顔立ち輝く瞳でじっと周囲を見渡している、12歳の勝局が家康の心を捕らえた。 心憎い配慮で引き合わせたのはお勝の親戚で、家康の育ての親お久の娘婿遠山利景だった。 幼少の家康は人質生活が続いたが、祖父清康の妹お久が常に離れず付き従い大切に育てた。 勝局は初めて登城した江戸城、大勢の武将が珍しく、背筋を延ばし周りに見とれていた。 里見氏でそっと隠れるように育った苦労を感じさせない道灌嫡流の雄々しさが輝いていた。 真偽を突き止める気はないが、出会いの時の華やいだ弾む心は急激に失せ、冷静になる。 勝局は耳を疑う噂を聞き悔しくて耐えきれず、結婚は本意でないと正綱屋敷を飛び出した。 勝局の勝手な振る舞いに一族は厳しい処分を覚悟しおびえたが、素直に考えを利景に話す。 勝局は一族の為、立派に働くと勇んで対面の場に臨み、堂々と側室の座を射止めたのだ。 勝局は家康から再び召し出され、家康の一番若い側室として毅然として江戸城入りした。 なぜか思うほど家康に寵愛されないと、勝局はまた挫折を味わい、傷つき、情けなく悩む。 置き忘れられた過去の暮らしとは違い、華やかで活気のある今の暮らしは楽しいがつらい。 好奇心が満たされ充実した日々だが、江戸城から自由に出られず一族と離されて寂しい。 家康は利景を信頼し、側近でもある側室阿茶局に利景の娘龍の方を侍女として仕えさせた。 それでも命令違反の出戻り事件もあり、江戸城築城主の姫として飾りの側室のまま過ぎる。 そんな時、江戸に戻る時間がない家康から他の側室と共に京の伏見屋敷に呼び寄せられた。 だが秀吉の死により、天下分け目の戦いを感じ勝の局の血が騒ぎ、決意の時と思い定めた。 そして武者姿に身を包み家康の影武者になる覚悟だとりりしく気取って関ヶ原に付き従う。 並み居る武将の拍手喝采を受けて、家康は上機嫌で勝利を招く幸運の姫だ、と褒めた。 |
捨て身の想いが実り、10年間待ち続け、ようやく家康の寵愛を一身に受ける身になる。 そして家康65歳、子種をあきらめかけた時、勝局に市姫が授かり元気に生まれ、大喜びだ。 出産は家康の長年の夢だった隠居城、駿府城の完成直後で、祝賀の続く最高の時だった。 勝局は30歳になり側室として役目を果たし太田家の安泰も約束され成し遂げた喜びに浸る。 すぐに冷静に貴重品の持ち出し金銀の警護を侍女達や家臣に命じ、貴重品は完璧に守った。 再び築城が始まり、江戸城の改修を見続けた勝局は水を得たように案を出し仕切っていく。 秀忠の養母として江戸城に留まる阿茶局に代り、駿府城の奥を仕切る責任者となった。 家康は勝局をねぎらい手腕に報いると、亡くなった結城秀康の次男忠昌の養母に抜擢する。 家康の私的な諸事を全て預かり忙しく充実した暮らしが一転、市姫をわずか3歳で亡くす。 家康とぎくしゃくした間の側室お万の方の第2子、11男頼房(よりふさ)の養母となった。 家康の子、孫合わせて3人の母となり子がいなくても家康側室の第一の地位を不動にする。 勝局の性格は厳格で禁欲的な、質実剛健を身を持って実践し、皆の手本となる人だった。 皆を奮い立たせる気迫のこもった説教は得意で、駿府城の女主としての威厳が溢れて来る。 また家光を将軍にする為に決死の覚悟で江戸から駿府に来た春日局の思いを一目で見抜く。 次第ににこやかな表情が増えたが、判断力が早く確かで皆が素直に従う威圧感は変らない。 憧れ続けた故郷の江戸城に落ち着き、秀忠が丹精込め築いた豪壮な江戸城の姿に感心する。 秀忠は公正な行き届いた仕事ぶり、家光は揺るぎない気迫に中性的な魅力、を勝局に見た。 勝局には近寄りがたい雰囲気があるが、兄重正の子、資宗(すけむね)には甘く可愛がった。 勝局は江戸城に住まうが常に道灌と共にあり鎌倉扇ガ谷の道灌屋敷跡に英勝寺を建立する。 |