7. 現代都市と城
現在の都市の大部分が江戸時代の城下町から始まっているとされている。
現代の都市は、安土桃山時代から江戸時代はじめにかけて築かれた近世城郭の城下町から引き継がれているということだ。

では城下町と都市名は関連するのか現在どうなったのだろう。
県名・県庁所在地から考えてみるとおもしろい。

徳川幕府の終焉に伴い、江戸時代の諸藩は、明治新政府に対し版籍奉還する。
1867年廃藩置県で、新政府の元に新しい行政区域が成立する。
といってもその時は藩はそのまま県と名前を変えただけで藩主が県知事になっただけのようだ。そして1879年まで試行錯誤を繰り返し63府県に統合決定されて、さらに修正があって現在の1都1道2府43県となった。この間の行政責任者は、大蔵省次官の井上馨(山口藩)で、長官は大久保利通(鹿児島藩)だそうで、明治維新に大きな役割を果たした大物だ。

廃藩置県は、将来の国の発展のための大きな事業であった。
県名・県庁所在地決定ガイドラインは次のようであった。
1、県名と県庁所在地名と一致する
2、県名は古代からの国を重視し、30~40万石程度の財政規模にし旧大藩の名称を使用する
3、県庁は、行政の効率から考えて、交通の便利な旧城下町に置く
4、横浜・神戸など開港地で、発展を続けている地は、元々はマイナーでも将来性も加味する。

しかし、江戸幕府を連想させる名称は避ける。
幕末の戊辰戦争で、幕府の側について新政府軍と戦った地域では、明治政府に対する不満が残っているので、治安上の理由からその地域を避ける。
戊辰戦争の時に幕府側についていた朝敵藩に対しては新しい時代が始まるという命名にする。
ということも配慮されたようだ。
また選考過程で、維新での働きに応じて政府内部の各勢力のさまざまな力関係も反映したようだ。
結果、日本の47都道府県の名には、県庁所在地名と一致するものが29(1都2府26県)一致しないものが18(1道17県)となった。
現行県名が現県庁所在地に一致しない17県は、下記のとうり
岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・石川・山梨・愛知・三重・滋賀・島根・香川 ・愛媛・神奈川・兵庫・沖縄。
神奈川・兵庫・沖縄は港町が県庁所在地となったので別格として、他の県はなぜ県庁所在地と県名が変ってしまったのだろう。
佐賀県は、何度も消滅を迫られながら維新での功労により存続したという。
行政内部での力関係も影響するし、新しい国つくりに貢献した藩は、優遇される。
反対に会津若松城・佐倉城・弘前城・米沢城などのように名城があり整備された城下町があり、雄藩でもあるのに、県庁所在地にも県名にもならなかったところもある。
賊軍としての制裁と見ることもできるかもしれない。

盛岡・仙台・水戸・宇都宮・前橋・(さいたま)・金沢・甲府・名古屋・津・大津・松江・高松・松山この地が現在の県庁所在地。
いずれも名城がありこの地域では、他に変ることのできない大城下町が築かれていたので条件に一致し、順当な結果であろう。
しかし、県名とは違う名前の県庁所在地となってしまった。
これらの地域には親藩・譜代大名が藩主であったり、幕府側に近い立場で維新を迎えたところが多い。
そのため県名にはならなかったのではないかと連想してしまう。
歴史の変換点では敗者は損をすることが多いようだ。
新しい政権が早く軌道に乗るためにも、敗者に責任を取らせるなにかが必要だったようだ。
県庁所在地と県名が違うと地理でも歴史でも覚えにくく勉強嫌いになるきっかけにもなるが、そこに、固有のドラマ、すなわち、歴史があるともいえる。
市町村の統廃合が続いていくので、これからは、さいたま市のように過去を感じさせない新しいわかりやすい地名がつけられることになるだろう。
どの城にも、幕府に近い人、朝廷に近い人が入り混じって幕末を迎えたのだ。
各地で紙一重のきっかけで賊軍になったり、また維新の功労者になるという、歴史のドラマが生まれてしまった。
近世城郭は現代都市につながることは事実だが、城下町の規模だけで現在の都市構造につながるわけではない。

このページのTOPデジタル大工のTOP前へ 3410 次へ

home | 動画空撮合成掲載書籍ご利用例お問い合わせ