| 2.緊縮財政 |
| ■躍動の時代 戦国時代はそれまであった多くの規制が撤廃され、自由な競争が始まり、力のある武将・大名は大規模な公共事業に投資し、新しい産業が生まれ、新しい製品が普及し、それが軍事・経済・社会に大きな変革を起こした時代であった。 武器、装備、戦略、陰謀、策略、人望などで競い合い、その基盤に経済力があった。 その経済力とは、コメの生産力、金・銀鉱山、特産品、商業などであり、コメの増産には特に力が注がれた。 戦国時代に新田開発が多くなったのは、軍事力の自由競争時代に勝ち抜くには、経済力増強そのためのコメ増産、そのための新田開発という図式になったからだ。 大きな川を治め、沖積層平野を新田に作り替え、そこでのコメ増産という経済力を武器にする、それなくしては戦国武将の生き残りはなかった。 その治水技術は築城にも生かされ、戦国時代の終戦とともに、より高度な築城技術が民間に伝わり民間主導の耕地開発がすすめられることになる。 戦国時代、外国からもたらされ社会に大きな影響を与えたものに鉄砲と木綿がある。 麻が主流の衣服から、木綿に変わり、保温・耐久性・動きやすさなどなど庶民の労働生産性の向上に大きく貢献した。 武器製造技術鉱山掘削技術築城技術などなどは、農工業の生産性を高めることとなった。 農民もまた生産製の高い新しい農業を開拓していく。 ■宴の後で 積極経済がとられた好況期は1615年夏の陣で豊臣家の滅亡によって幕引きとなる。 豊臣家亡き後、幕府はもはや城は必要がないと、一国一城令を発布した。 築城はおろか、城の改修に関しても許可制として、規制を強化し、以後築城ブームは急速に終焉する。 折りしも、このころには、諸大名は、天下普請の手伝いと居城・城下町を築くためにお金を使い尽くしていた。城下町の発展は、商人の存在を大きくしていく。各藩があくまで米の現物納付を収入の柱としている限り武士は、商人に頼って貨幣に換え消費していく。 身分制度はどうあろうとも、貨幣に変えなければ経済が成り立たない武士に対して貨幣を握る商人の実質的地位は上がり、消費経済が進み各藩や武士が借金までするようになり、地位は逆転してしまうという皮肉なことになった。農本主義は自給自足を前提として成り立つ。 その中に貨幣で取引される商品が入ってくると、商品を得るために貨幣が必要になる。 その貨幣を手に入れるために、米やその他のものを売らなければならない。そうすると、各藩の自給自足の体制は崩れ、そこに商人が介在する。 商人はそうした商取引のプロであるから、品物の現実の価値を見極めて値段を付け、商品の売買をする。そこに直接的に武士の力は必要ない。 城下町の発展は、武士の力をなくしていくことにつながる。 築城とは武士の夢であったが、夢を実現した途端、いやおうなく、商人が力を持つ時勢となる。その間武士は幕藩体制を守るために、制度の中でがんじがらめになって、緊縮財政の道を突き進む。 徳川幕府が磐石となったときから、武士の時代が終わる「始まり」となった。改革に次ぐ改革も大方効果なく武士の窮乏は、加速する。城郭もこの流れに無縁ではない。慢性的な財政難の中、維持すらおぼつかない城郭も珍しくなかったのである。 |このページのTOP|デジタル大工のTOP|前へ 12345678910 次へ| |