| 10. 名城って何・・・ |
| 築城とは軍事防御システムを備えた政治経済の中枢機能をもつ都市造りだ。 ということは戦いに備える軍事拠点としての城造りが主な目的ということだ。 しかし、天下の覇者信長・秀吉・家康により領地を安堵されて初めて安心して築城を開始するのが近世城郭である。 これは 「近世城郭は軍事目的よりも、平和になりつつある時代を反映して築かれた面が多い」ことを意味する。平和をすべての人に見せ付け、実感するために軍事拠点である城を築く。一見矛盾するけれど、戦争抑止力としての城づくりなのだろう。 何よりも築城主である大名が、戦国時代を生き残り勝ち残った自分と家中に満足し、成功を実感するために、自分へのご褒美が築城なのだ。 それはまた一面にしか過ぎない。 残された城跡から浮かび上がる名城とは。 三名城といわれる大坂城・名古屋城・熊本城の共通点は、見るものを圧倒する堅固さ、天守を含め中核をなす建築物の大きさ数の多さ、城郭全体としてバランスのよさデザインの美しさ、などなどいろんな根拠がある。 何よりも実際訪れる人すべてに感動を与えるものを持っている。同じ築城主が、同じ目的、同じ機能を持った築城でも同じ城はない。 大規模構築物である城郭は、当然、自然的条件・社会的条件に大きく影響されている。逆に自然的条件を取り込み、防備を固めるのである。したがって各城郭は、各建設地に立脚した個別の特徴的な様相を帯びることになる。ご当地の城なのである。だからこそ今までも大切に維持されてきたし今でも多くの人に愛されている。 築城とは優秀なる武将達が自己権力を表現する最高の場として知恵を絞っての建設した芸術的作品ともいえよう。 彼らは、豊臣家・徳川家より命じられた天下普請への手伝い普請からも技術力・設計・必要経費など多くを学んでいる。それが全国に広がっていき、 各地で、時代の最高水準の治水・土木・建築技術を総合して築かれていく。 背伸びし過ぎて、築城で多くの人の犠牲を強い自身まで滅亡することもあるほどだ。 築城主はもちろん築城に従事する人々すべてが愛情込めた地域の総合力の結晶としての築城なのである。 |