二条城
築城年 慶長11年(1606)
幕末(慶応3年)の城主 留守役梅沢孫太郎
所在地 京都市中区二条通り
石高 幕府直轄
天皇がはじめて登られ京の町を遠望された天守。
世界遺産に登録されている豪華絢爛な式典の城
■CG復元二条城
東西約530m、南北約410mのほぼ正方形の内堀に囲まれた本丸とそれを取り囲む二の丸及び外堀からなり、本丸南西隅に天守台がある。二条城全容復元(遺構 二の丸唐門・御殿・東大手門・北大手門・西門・西南隅櫓・東南隅櫓・土蔵・鳴子門・桃山門・北仕切門・南仕切門・堀・石垣)
■特徴
京都の町のほぼ中央に将軍家の上洛時の居館二条城がある。
1624年三代将軍徳川家光は、後水尾天皇を二条城に迎えるために大改修を行ない現在の形状となる。
徳川幕府の権力を天下に誇示するため、京の人々に御所を超えた絶大なる幕府権力を示す豪華絢爛な式典の城である。
戦国時代以来、群雄が京都を目指した時代の終わりを告げる城でもあった。
1601年二条城築城を始めたのは、徳川家康だった。上洛時の居館としての城であった。このときは、現在の二の丸部分しかなかった。それでも天守もあり御殿が建てられて、徳川家の天下支配を示す行事が行われた。
その御殿で、豊臣秀頼と対面し、その後ここから出陣し大坂城の豊臣家を滅ぼした城でもある。
また1620年ここから2代将軍秀忠の娘和子が天皇家へ嫁いでいる。
そして徳川の世を天下に示す最終段階、天皇を二条城に迎えるために大改修がなされた。
1626年9月6日から10日まで後水尾(ごみずのお)天皇と東福門院和子が行幸された。迎えたのは前将軍秀忠と3代将軍家光。
華やかな歓迎の行事が繰り広げられた。
時を経て1867年10月13日15代将軍慶喜(よしのぶ)はこの二条城で大政奉還(たいせいほうかん)を宣言し、徳川幕府を終わらせてしまう。
幕府の大きな節目に重要な役割を果たした城である。
■見所
世界遺産に登録されている二の丸御殿・石垣。二の丸御殿は、外観内部とも圧倒される歴史の重み美しさは感じる。監視の目も厳しいけれど。
本丸御殿・天守はもうない。往時の絢爛豪華さは味わえない。2代将軍秀忠・3代将軍家光の得意絶頂のときを味わってほしい。
寛永行幸の際、天皇が土面に降りることなく行幸御殿のある二の丸から本丸へ移動することができるように建築された二条城。
そこで堀を渡るために設けられためずらしい橋廊下がある。2階建ての橋だ。2階部分を天皇が渡られることになる。
伏見城から移設して天皇を迎えるのために建てられた天守。天皇がはじめて登られ京の町の遠望を楽しんだ天守。2回も登られたとか。天守・本丸御殿・二の丸御殿・行幸御殿が並ぶ華やかな二条城が、が存在した。
そして徳川家康の曾孫であり秀忠の孫である東福門院和子の御子が明正天皇として即位されることとなる。