金沢城

築城年 慶長4年(1599)
幕末(慶応3年)の城主 前田加賀守慶寧
所在地 石川県金沢市丸の内
石高 102万2700石
前田利家・まつが築き始め嫡男利長・栄姫(信長娘)が完成し3代利常・珠姫(将軍秀忠娘)が磐石とした加賀100万石の名城



CG復元 金沢城

 犀川と浅野川に挟まれた台地の先端に位置している平山城である。城屋根に使われた鉛瓦や、壁面に瓦を張った海鼠壁は、雪国における耐寒の工夫がみられる。鉄砲狭間が外側から隠された海鼠塀の城壁で、唐破風出格子の石落しが付けられているのがこの城の特徴だ。優美で美しい塀が続く。金沢城全容を復元
(遺構 石川門・三十間長屋・堀・石垣)

■特徴 

前田利家は1583年豊臣秀吉から北加賀を与えられ金沢に入城する。そして北陸の一向宗徒の本拠地であった金沢に近世城郭築を築き始める。築城半ばで利家は亡くなる。2代藩主前田利長が、引継ぐ。名築城家であり、キリシタン大名であった高山右近は、利家・利長に客将として迎えられ、築城に尽力する。そして今日の金沢城を、2代藩主前田利長・3代藩主前田利常が、利家から受け継いで築き完成させた。
徳川家に対し、一歩も引かない緊張感と、徳川家に対しての忠誠心をあわせて表現した名城。
徳川家との信頼の絆になる2代将軍秀忠の娘珠姫を守り養育する場としての優しさを併せ持つ築城だった。
利家妻まつが、関が原の戦いの前に、江戸に人質として入り、代わりに関ヶ原の戦い後の緊迫した状況で3歳の珠姫が3代藩主前田利常に嫁いでくる。利長の妻であり織田信長の娘永姫が優しく見守り、大切に育てられて、3代藩主前田利常との婚儀となる。
前田家の安定のための要となる珠姫だった。期待どうり仲むつまじく多くの子供が誕生し、役目を終えたかのように24歳で亡くなってしまう。
そして3代藩主前田利常の並外れた力量・徳川の血を引く次期藩主の健やかな成長と非のつけようのない前田家となった。明治まで変わらず力を維持し続けた。
豊臣秀吉亡き後、最大実力者は徳川家康か前田利家かと天下の衆目を集めた関係だった。本来は徳川家にとって最大の敵対者だった前田家。外様大名改易の嵐の中で江戸にも近い加賀の国、徳川幕府による改易のための策は練られていたろうが実を結ばなかった。
親藩・譜代・外様大名の中でも最大の勢力として生き残る。信長時代・秀吉時代より以上の領地で徳川幕府の中で大きな勢力を持つこととなった。

■見所

 前田利家・まつ夫婦が築き始め嫡男利長・栄姫(信長娘)夫婦が完成し3代利常・珠姫(将軍秀忠娘)夫婦が磐石とした加賀100万石の名城。まつ・永姫・珠姫・豪姫など女性がいかに歴史で重要な役割を担うかを示すお手本のような城である。それぞれのお姫様が積極的に自分の生き方を貫くところがすばらしい。
前田家を築いたそれぞれのお姫様のおもかげを感じさせる独特の優しさ美しさを持つ大城廓。石川門・三十間長屋・現存復元され当時の壮大さがよみがえりつつある。