姫路城

築城年 天正8年(1580)
幕末(慶応3年)の城主 酒井雅楽頭忠惇
所在地 兵庫県姫路市本町
石高 15万石3万5000石
国宝として世界文化遺産として華麗・豪壮な大城郭である。
白鷺(しらさぎ)にたとえられる連立式天守、城を幾重にも取り囲む白亜の塀・櫓は誇らしい日本の美だ。

CG復元 姫路城
 
五重六階の天守に三重三階の小天守三基を付属させた壮大な連立式の白亜天守群をはじめ、城を幾重にも取り囲む白亜の塀・櫓。迷路のような幾重にも行く手を阻む天守への道。姫路城全容を復元。(遺構 天守・櫓・門・石垣・内堀等々数多く日本最大の遺構)

■特徴
 
天正5年(1577)織田信長の軍団長として羽柴秀吉が播磨を支配下におき姫路に近世的な城郭を建てる。
関ヶ原の戦い後入城した池田輝政が秀吉時代の巧妙な縄張りを継承しつつ現在の華麗な天守、複雑巧妙な曲輪配置を一応完成させる。白鷺(しらさぎ)にたとえられる連立式天守は、池田輝政の得意絶頂の時であり権勢最高の時を表す。
池田輝政亡き後、元和三年(1617)に入城した本多忠政が残されていた西の丸と中曲輪諸門を築造して城地が完成する。
嫡男忠刻と千姫の新居を整えるために。以後徳川一門もしくは譜代大名が交代し、幕府のおこなう関西諸侯対策の要となった。
昭和20年の空爆により旧城下町は被災したが、奇跡的に主城部の遺構は無傷のまま残る。現存する建築物の数50余り。国宝として世界文化遺産として華麗・豪壮の極地をいく大城郭である。

■見所
 
現在の姫路城は、家康の娘督姫の夫池田輝政による。名門北条家の滅亡により離婚した督姫の再婚相手が池田輝政。
輝政との夫婦仲もよく子供たちにも恵まれ、督姫の尽力でその子達に与えられた領地も入れると西国将軍といわれる大大名となった。
52万石の財力で、秀吉の跡を引き継いで、姫路城を近世城郭に整備する。
そして徳川家康の孫であり豊臣秀頼の妻であつた千姫が大坂城炎上の後、本田忠刻と再婚し、姫路城に移り住むことになる。
本多忠刻の母は、家康の長男・松平信康の次女熊姫。熊姫が千姫を息子の結婚相手に望んだゆえのスピ−ド再婚だった。
当時は桑名城城主だった本多家、千姫が大坂から江戸に向かう途中にあり2人は顔を合わせて意気投合したのではと思うと楽しい。
豊臣家未亡人の存在は、徳川幕府創立期に、幕府に悪い影響をもたらすことは千姫も十分に理解していたろうから即の再婚となる。
10万石だった本田家が、15万石で姫路藩主となる。
徳川天下統一に力を尽くした家康の孫娘の嫁ぎ先として相応しい家格が整えられた。そのうえ、千姫の持参金として10万石が化粧料の名で本多家にもたらされた。この財力で姫路城は拡張整備された。本田家が千姫を迎えるために整備して完成したのが今日の姫路城。
家康の娘督姫。家康の孫千姫。この女性たちの力で、姫路城がもっとも栄華を極めた時代が築き上げられる。
やさしい幸せな千姫の思いが伝わる美しい城となる。
しかし千姫は、結婚10年で、息子もなくなり、夫とも死別、1626年娘勝姫とともに江戸に戻ることになる。
栄華は長くは続かなかったけれど、今も残る姫路城を創って、去った。
世界遺産となった今の姫路城は、当時より遙かに多くの人たちに囲まれて美しさも維持され続けている。