五稜郭
築城年 元治元年
幕末(慶応3年)の城主 松前志摩守徳広
所在地 北海道函館市
石高 幕府直轄
遺構 堀・石垣・土塁・兵糧庫
往時の全容を復元。奉行所をはじめ、多くの建物が立ち並ぶ、洋式築城の星型の城がよみがえる。水堀・石垣はほぼ築城時の形状なので、現地にたたずんで見比べてみれば激動の幕末に思いをはせることができる。
(遺構 堀・石垣・土塁・兵糧庫)
■特徴
函館開港に伴い蝦夷地を統治するため幕末に築かれた城。
1857年から7年の歳月を経て1864年にほぼ完成。
西洋軍事学を学んだ武田斐三郎が、中世ヨーロッパの城塞(じょうさい)都市をモデルに設計した、5箇所に突角のある稜保(りょうほ)式の土塁が特徴的な、北辺防備の城。函館奉行所は外国からの砲撃による被害を最小限にするために天守閣のない、地べたに這うような形をしている。対外国を意識して築かれた城だが、幕府の崩壊に伴
い、明治維新ヘの最後の戦いとなる函館戦争の場となる。
旧幕府軍榎本武揚らが立てこもり抵抗を続けたが降伏する。新撰組副長・土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、生き残った新撰組を率いて海路江戸に出て、結城・宇都宮と戦いながら会津を目指し会津で戦うも降伏。そののち米沢・仙台と各地を転戦し、名誉ある死に場所を求めてこの地で奮戦し、榎本武揚の副長として、戦死したことでも有名。胸の熱くなる生き方、本望の戦死だったろう。1871年には城内の建物の大半が解体される。函館開港に伴って、五稜郭を中心に新しい都市函館が築かれた。
西欧と肩を並べる都市造りという大きな構想を持ちながら、低予算で築かざるを得なかったゆえ小規模に終わった簡素な城。それでも函館の地そして日本の新しい時代の幕開けを告げるような斬新な美しい城だ。
■見所
観光地として多くの人が訪れている。第一印象としては、対西洋に向けての日本の心意気を表す緊張感のある軍事要塞としての、迫力はない。
残された遺構からは往時の面影は薄いが、日本の変わった城として、印象に残る、平面的に特徴のある美しい形状の城だ。
堀端からぐるっと一周して、次に中の土塁上を歩き、タワーに登って、眺める。
目線の変化に伴って、海外からの、外国人に対しての防衛のための城としての役目を果たすために築城された幕末の城と感じることはできる。
しかし緊張感より優しさを感じて、とても日本防衛のための戦略的使命を果たせるとは感じられないが。設計段階での壮大な計画が、予算不足で、中断してしまったゆえだろう。
花の名所として今よみがえる。