福井城

築城年 慶長11年(1606)
幕末(慶応3年)の城主 松平越前守茂昭
所在地 福井県福井市
石高 32万石
織田信長の家臣柴田勝家が築いた北の庄城を取り囲む形で拡充した名城である
福井城本丸には県庁がそびえている

CG復元福井城

 1669年に天守が喪失する前の本丸天守・城郭を復元。駿府城によく似た縄張りで、父親家康への思いいれを表した築城だ。(現況は、天守台・石垣・内堀・井戸が現存する。)

■特徴

 天下普請で築かれた家康の次男結城秀康にふさわしい、越前68万石の大城郭。家康が直接縄張りしたともいう。
三男秀忠を将軍にした次男秀康に対する心づくし親心だろうか。しかし壮大な天守はわずか60年の幻の天守となった。
織田信長の家臣柴田勝家が築いた北の庄城を取り囲む形で拡充した名城である。

しかし1607年秀康は城郭完成の翌年死亡。江戸幕府にとり不必要な存在だったのか。跡を継いだ嫡男忠直も1623年29歳で廃嫡。武勇に優れた親子だったといわれるが幕府創設期にはふさわしくなかったのかもしれない。その後越後高田藩主だった弟忠昌が福井(北の庄を改名した)城主となり、以後明治まで福井城を治める。

家康は自責の念があるのか徳川一門として秀康の子供たちを非常に厚遇し出雲松江松平家・美作津山松平家・上野前橋松平家・ 播磨明石松平家と配置し繁栄させる。幕末時点で分家をあわせて八家が存在した。
また忠直と2代将軍秀忠娘勝姫との間の嫡男光長は、入れ替わりに越後高田城主となる。忠直と勝姫の夫婦仲がよく伴侶として信頼関係があれば廃嫡は防げたろうが。なぜか福井藩は、幕府の政策に翻弄される。その後領地を減らし、25万石にまでなってしまう。藩政は困難を極める。
幕末に田安徳川家から迎えた養子松平春嶽(まつだいらしゅんがく)の代に国政に参加する雄藩としての面目を保つ。
幕末時代の藩主松平春嶽(まつだいらしゅんがく)は、一時、井伊直弼(いいなおすけ)と対立し隠居したが、のち政治総裁職に就任し、政界に復帰した。そして幕末四賢侯の一人として活躍した。また横井小楠(よこいしょうなん)らの優れた人材を登用したことでも有名である。

■見所

 近世城郭は、現在の都市の形成の元になっている。この事実を、はっきりと立証するのはなんと言っても福井城。福井城本丸に県庁がそびえているのだから。
このわかりやすい歴史の流れには、思わず笑ってしまうけど。当時の面影を求める、城好きとしては、少しさびしい。
柴田勝家・お市の方・豊臣秀吉・前田利家など有名人の活躍した歴史の舞台として、感じることは難しい。
でも天守台に立ち周囲を見渡す壮観さは福井城は現代に生きているといっているよう。
都市の中枢に城あり、近世城郭は現代に通じる都市づくりだという先人たちの先を見る目をを肌で感じることができる。
歴史の流れの中で生きていることを感じさせる。