会津若松城

  • 築城年 文禄2年(1593)
  • 幕末(慶応3年)の城主 松平肥後守容保
  • 所在地 福島県会津若松市
  • 石高 23万石

CG 復元 会津若松城

天下人秀吉の威光を東国の人々に示すため、石垣の少ない東国の城でありながら、贅沢に本丸・二の丸に石垣を多用した近世城郭。本丸の三方に馬出しのあるバランスのいい美しい形状の縄張り。天守を核に総構えの中に武家屋敷を配置し、その外には町屋を配した、広大な戦う城。会津若松城全容を復元

■特徴
 豊臣秀吉により奥州平定後の押さえとして任された蒲生氏郷(がもううじさと)により築城された城である。蒲生氏郷は商工業振興策をとり、出身地の近江や以前の領地伊勢から商人を招き奥羽一の商業都市として城下は賑わい発展する。92万石の居城にふさわしい名城の骨格を創る。
明治元年の戊辰戦争で大部分の屋敷が焼失する。

■歴史
 小田原征伐の後、伊達政宗は会津の地を取り上げられて代わりに蒲生氏郷が入る。会津に入った氏郷は、城の改修を大々的に行い、現在の会津若松城の基礎を作った。また、氏郷は黒川の地を若松、城の名を鶴ヶ城と改めた。
1598年には上杉景勝が120万石の城主として蒲生氏に代わって会津若松に入ったが、関ヶ原の戦いで西軍についた景勝は会津を失い米沢に移る。1601年景勝の後に蒲生氏郷の子秀行が入るが、1612年秀行30歳で亡くなり、正室であり家康の娘振姫との嫡子忠郷10歳で跡を継ぐ。幼少のため、母振姫が統治する。しかし1615年振姫は重臣との折り合い悪く、江戸に去る。1627年忠郷25歳で亡くなり嗣子がいないとして会津藩を取り上げられる。江戸幕府創設期の外様改易の典型的パタ−ンとなってしまう。蒲生氏の後に会津に入ったのは、加藤嘉明である。1627年5月5日嘉明は伊予松山から移ってきた。秀吉の信頼厚かった、秀吉の天下取りに大きく貢献した賤ケ岳七本槍の一人でもある名将だ。秀吉ゆかりの大名だった。1631年嫡男明成(1592〜1661年)が跡を継ぐ。名築城家でもある加藤家は40万石での入城にもかかわらず100万石の城として築かれた会津若松城の整備を続けた。出丸を築き・天守の建て替えなど行いを現在の形にした。しかし改易。築城にがんばりすぎたのか藩主としての統治能力がなかったというのだ。有力大名として家康の養女(家康異父妹と保科正直の娘、)を正室として迎えたが、嫡男明友を残して1936年には正室は亡くなってしまう。早くに隠退すべきだったのに有名なお家騒動を起こしてしまうことになる。1643年加藤明成は会津を没収された。将軍家の千姫・家光と実力者がそろっての外様大名改易の典型的パタ−ンとなってしまう。待ち構えたように入城するのは親藩大名である山形から移ってきた3代将軍家光の弟保科正之であった。
保科正之は会津松平家の祖である。松平と改姓したのは、3代目正容(正之の子)からで、以後松平氏が幕末まで続く。
幕末、幕府軍の首謀者にされてしまった会津藩は、1868年8月に新政府軍によって包囲された。新政府軍は会津若松城下に殺到し、激戦が繰り広げられた。白虎隊の自刃は、8月23日である。凄まじい砲撃を受けるも城は耐えたが、9月22日に降伏開城する。
明治初期熊本城と会津若松城はともに戦場となり戦いが繰り広げられた城。ともに攻めてきた軍の最高司令官は西郷隆盛だった。ともに落城することなく守りきった堅固な城だった。ただ守ったのは、熊本城は官軍で会津若松城は賊軍だった。その後の展開は大きく異なる。

熊本城は、新政府軍の誇るべき砦として優遇される。熊本城を中心として、熊本県熊本市となった。県都として、大きく都市を発展させている。そして熊本城は、今も整備され続け雄大な熊本城がよみがえりつつある。会津若松城は、新政府に格別の意図はなかったかもしれないが、福島県福島市が県名県都となり、地方都市となった会津若松市の城となる。江戸時代から多くの人が住み整備されている商工業の中心地である城下町を県都とするのが当然なのに。新政府に反感を持つ人が多く治安が悪いかったからとか、理由はいろいろ挙げられるだろうけれど県都にはならなかった。結果として現在会津若松城の整備に使われる費用は、熊本城よりはるかに少ないのではないだろうか。訪れる人も少なくなってしまう。熊本城に匹敵するような名城であり、熊本城と同じような賑わいを期待しているのだけれど違いを感じてしまう。本来ならば若松県若松市もしくは会津県会津市にある会津若松城となるべき名城だと感じるけれど。
■見所 
戦国時代の英雄伊達・蒲生・上杉の居城となった、100万石クラスの大城郭。その城を平和な徳川の世に23万石で守り続けるのはさぞかし大変だったろうと思う。あまりの広さに圧倒される。
戦国の英雄たちは、この地から秀吉・家康を相手として、日本全土をめざす気概があったようだ。実現は難しく蒲生家は断絶。上杉家は30万石。伊達家は東国の雄として生き残ることになってしまったが。おおらかさの中に緊張感を感じるすごい歴史を秘めた名城だ。桜の散りゆく姿が似合う名城。