安土城
築城年 天正7年(1579)
所在地 滋賀県蒲生郡安土町
天下統一の最終段階を迎えようとする織田信長の天下布武の象徴である城
新時代の到来を告げる城であり、琵琶湖畔に絢爛たる姿を浮かび上がらた名城
■CG復元安土城
安土城は、 琵琶湖の南岸の半ばにある三方を湖に囲まれた標高100mほどの安土山に築かれた。絢爛豪華な安土城天守。外観五層、内部は地下一階の石蔵と石垣上六階の計七階・総高約45m・東西南北の4面とも非対称な斬新な造形・鮮やかな青・赤の瓦・総金箔の最上階の天主。天皇を迎える京都御所の清涼殿に似た礎石が見つかった御殿。さらに発掘調査が進み多くの御殿跡の礎石が見つかっている。天守台下の本丸跡は東西約50m南北約34mの細長い敷地である。信長が築いた安土城と栄える城下町。安土城全容復元(遺構 石垣)
■特徴
卓抜な戦略と独創性で天下統一を目指し天下統一を目前にこの世を去った「戦国の風雲児」織田信長(1534-1582 )の築城した名城。
琵琶湖畔に絢爛たる姿を浮かび上がらせる安土城は、天下統一の最終段階を迎えようとする織田信長の天下布武の象徴。織田信長は1573年には 足利義昭を京都から追放し、室町幕府をほろぼす。またはじめて鉄砲を実戦で使用したり,検地や楽市・楽座などの政策を用いて,新しい社会体制をつくりあげて、キリスト教を保護し京都や安
土に教会や学校をつくらせるなど、革新的な新しい日本の統治者だった。天下平定を目の前にしながら戦い続ける信長の、中世的世界を一新させる新時代の到来を告げた城であり、近世城郭は安土城にはじまるとされる。
東西に陸路が通り、瀬戸内や大阪からの水路の便もいい交通の要衝だったこと。生れ故郷の尾張からも、当時の都の京都からも近いことなどからこの地が選ばれたという。
1576年から3年で完成。普請奉行に任じられた丹羽長秀の指揮の下、天下統一にかけた信長の強い威光を表現する安土城が築かれる。東海・北陸・近畿にいる配下の武将を総動員し、さらに京都・奈良・堺の名工たちを集めて築城にあたったらしい。これがいわゆる「天下普請」の第一号となる。しかし完成からわずか3年余りで明智光秀軍に攻められ、天主など主要な部分を焼失してしまう。
■見所
志半ばで光秀に討たれた信長ゆえ残されたものは少ない。この地で本当に天下を治めようとしたのか。
お城に続く道は何本もあるが、急な道を上りきって現れる城である。
また本丸・二の丸などの郭もさほどおおきくないし、家臣を集めての儀式の場としては不十分のよう。
城下町の人々にとって、見上げる美しく威厳のある城には違いないけど。
天下布武の象徴として高石垣で築かれた近世城郭としては、画期的なすばらしいお城だけれど。
天下を治める政治を行い、天下人としての生活の場としては、あまりにも急斜面で不便なよう。
まだまだ続く夢の実現に向けての通過点の築城であったろう。無念の最後だった気がする。理想を目指す織田信長の熱き思いが感じられる城だ。発掘調査が進みきれいに整備されつつある。